学校の規則の中で髪の毛をいじりすぎない事が明記されていたりします。
これは、時代を追って、チェンジしていくコモンセンスの類であるので、なにが絶対で絶対でないかと言う論争を巻き起こすのは空虚です。
ただし、他校と比較すると、勝ち戦か負け戦かと言う問題は残ります。
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学校でパーマが禁止されている理由
学校でパーマが禁止されている理由としては、まず、パーマ費用を学生がねん出できる訳がない、という水掛け論があります。
これは、バイトをしていれば、パーマ費用は全額自分でという、論旨は一応通るのですが、バイトの禁止条項の類と、集団統率という意味においては、やはり、理不尽な思いはするところです。
そして、善悪の判断においても、良いか悪いかと言う二元論が果たして、性格や人格の善悪まで網羅してしまうと、一緒くたに管理される学校側に対して敵意を燃やす学生もいるでしょう。
ここでは、なぜ、学校でパーマが禁止なのかについては、結局論争を巻き起こすだけで、具体的な解決法はないのです。
天然パーマですら禁止されている理由
天然パーマですら禁止されるとすれば、これは被害者は多発しているはずです。それならば、ストレートパーマは良いのか、という油に水を注ぐ理論の展開が為されてしまいます。実際ストパーのほうが、金額が高いことを指摘されれば、学校側としても、なすすべがないでしょう。
ですが、天然パーマ対策にしてみれば、それが被差別者というかたちで、社会的概念の枠内では、保護する。要するに自らを守るという意味で通るやり方になります。つまり、自らの人権を守るというかたちに踏み直せば、日本国憲法に準じる向きに居直る訳です。
ただし、パーマを充てすぎるその結果としての心理作用は、女性がもてたいという、意識からであれば、まずストップはかかります。
つまり、学生は勉学をする者であることが、古今東西より、そして古よりの風習として、良い慣例学になっている訳です。なので、勉学に差し障りがあるかどうかは、学校側の論法を脇へ置いて於けば、学業とは、反対の恋愛・結婚をすでに考える学生の処方を先方に回さなくてはなりません。
なので、天然パーマが、あえて理不尽な待遇を余儀なくされるという点では、パーマを擁護する理論としては弱くはなります。
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禁止の歴史と目的
パーマが禁止された歴史的背景には、やはり太平洋戦争の後のことは、否めません。
つまり、ハイカラとして戦後に流行った西欧ブーム・アメリカかぶれに関しては、その業態上、進駐軍を迎えるためのビジネスであったり、女性としての尊厳に触れる問題を扱うはめになります。なので、年配の方があたらしいということにいぶかしがるように、もしかすると、年配からの
若い美しいロングヘアーに対する嫉妬心は垣間見る事に容易です。
なので、学校の校風にもある通りですが、校則とは言っても、果たして校則を守らせることが、学業なのかと問われれば、大人社会からすればそれはノーなのです。
大人たちは、自分で稼いだお金を縦横無尽に投資して、ある程度の身なりを全うします。なので、非教育者が教育者と対峙するときに、年齢的なフラストレーションのはけ口としてなのか、それとも、労働者の発言、社会人としての発言、それから、あいまいな差別としての発言なのかは、その馬頭を浴びる方としての学生からは、あいまいなところをはっきりさせて欲しいでしょう。
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これからも必要な校則?
これからの時代に置いて、パーマが許容されるかどうかについては、確かに心理学を参照にする必要もあります。
ヘアスタイルをチェンジするというのは、マインドチェンジングの意味もあるのです。それは、女性の生きざまの現れです。
もし、人間としての尊厳を学校側からなじられているのだとすれば、被差別者の学生の中には、法律を勉強したいという人も生まれてくるに違いありません。
つまり、問題は、既得権者の実務はいったいなんなのか、ということであり、たしかに学校の中間管理職のレベルの力量にも、裁量の眼は注がれることです。
まとめ
パーマ禁止の必要性は、理論的に言って皆無と言えます。そして、パーマで学校を退学になれば、それは人生を背負って立つ青年のその後の人生に作用を及ぼす出来事になりますので、管理者の方が、彼の・彼女の今後の人生を願う事であれば、その意味は伝わります。
そして、規則は何のために規則であるのかは、日本国憲法のほかに、六法全書を読み解く必要があり、その法律書の中に、犯罪を抑止し、犯罪人を取り締まるという意味が全てに網羅されているのですから、その上で、パーマが犯罪かどうかについて、学校側と学生はコミッションを続けるべきです。
いわばこの学生の運動としての闘いは非暴力でなされるべきですし、現代市民主義がもし壊れるようなことがあれば、国家にもその責はあるのです。
その非暴力運動で勝利を治めたかつての偉人たちに経緯を払う事を、わたしは認めます。
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